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長崎地方裁判所 昭和48年(ワ)380号 判決

原告 柴田朴

被告 日本電信電話公社

代理人 西修一郎 手島奉昭 後藤俊郎 本山知 中嶋耕一 ほか五名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  原告と被告との間に雇傭関係が存在することを確認する。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

(本案前の答弁)

1 本件訴えを却下する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

(本案の答弁)

主文同旨

第二当事者の主張

一  原告の請求原因

1  原告は、昭和三六年三月二五日当時被告の職員であつたが、被告は同日付で原告に対し、同月一六日被告の職員で組織する全国電気通信労働組合(以下全電通という。)の行つた同盟罷業、いわゆる三・一六闘争に関し、公共企業体等労働関係法(以下公労法という。)一七条一項に違反したとして同法一八条により原告を解雇した(以下本件解雇という。)。

2  公労法一七条一項、一八条は以下に述べるとおり憲法二八条に違反する違憲、無効なものであるから、本件解雇は無効である。

(一) 憲法二八条は、「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他団体行動をする権利は、これを保障する。」と規定し、無条件に争議権を含む労働基本権を基本的人権として保障している。

(二) 被告の職員である原告も憲法二八条にいう勤労者に該当するところ、公労法一七条一項は被告を含む公共企業体等の職員の争議権を全面一律に禁止し、同法一八条は同法一七条一項に違反した職員を解雇できる旨規定している。

(三) 基本的人権は、憲法上、国民に対して「基本的」な権利として国民にとつて最高の価値を担うものとして保障されたものであるから、これを制限するためには、憲法的な価値を担うものであり、かつ、制限される基本的人権と同等、あるいは、それ以上の価値の保護を目的とするものでなければならない。

労働基本権は、労働者の生存権を確保するための必要不可欠のものとして保障されたものであり、生存権に比肩し得る価値は生存権以外にはあり得ないのであるから、これを制限し得るのは、国民全体の生存権確保のため必要やむを得ない場合に限られる。

而して、公労法一七条一項は、昭和二三年、当時の連合国総司令部(いわゆるG・H・Q)がその占領政策を遂行する目的で日本国政府に立法を指示した結果成立したものである。したがつて、国民全体の生存権の確保を目的としていないから、違憲である。

(四) また、その目的において合理性があるとしても、基本的人権を制限する場合は、その制限は法目的達成のため合理性の認められる必要最少限度のものにとどめなければならず、これを超えた規制をすれば、法目的達成の手段に合理性がないとして法は違憲となるのであるから、労働基本権の制限も、国民全体の生存権の確保に必要な限度にとどめられなければならない。ところで、国民全体の生存権をおびやかすか否か、そのおそれがあるか否かは、争議行為を行う労働者のたずさわる業務又は職務の種類、争議行為の規模態様によつて異なるから、制限を必要最小限度にとどめなければならないとするならば、このような事柄を考慮した上で、合理的に、国民全体の生存権をおびやかす業務又は職務の種類についてだけ制限し、また、制限の態様についても、事前禁止、予告制度などの制限、事後の差止などを考慮して、国民全体の生存権の確保のために必要な範囲でもつとも争議権の制限の程度の少ないものを選択して初めて合憲性が認められる。

而して、争議行為を全面一律に禁止する公労法一七条一項は、その手段において必要最少限度のものとは言えないから、違憲である。

(五) そして、公労法一八条は、右のとおり違憲である同法一七条一項を前提とする規定であるから、同様に違憲である。

3  本件解雇は労働組合法(以下労組法という。)七条一号、三号に該当する不当労働行為であつて、民法九〇条に違反し、無効である。

(一) 被告は、全電通長崎県支部(以下「全電通」を省略して「長崎県支部」等という。)に対し、次のような不当労働行為を行つてきた。

(1) 昭和三二年一〇月二八日、全電通九州地方本部の指示にもとづき、熊本電話局改式闘争が行われた。この闘争は全九州にわたつて行われ、長崎電報局分会においても庶務課長の許可を得て決起集会を行つたのに、同分会についてのみ、平田分会長に停職三ヵ月、鈴木書記長には戒告という不当処分が行われた。組合活動を理由に停職処分がなされたのは、九州管内では初めてのことであつた。

(2) 全電通では、昭和三四年から三五年にかけて被告の支援による分派グループの活動が始まり、ついに昭和三五年一月に全国電信電話労働組合(全電々)が結成された(結成当時の組合員約三〇〇名)。

全電通長崎県支部においても、同年二、三月ごろから分派グループの活動が表面化し、ついに同年三月二十七日に長崎電報局において民主同志会が発足し、それはやがて、全電々に吸収されて第二組合として出発することになつた。その過程で、被告は陰に陽に分派グループないし民主同志会に対して直接間接の支援を与え、第二組合の結成を容易ならしめた。

(3) 昭和三五年二、三月ごろ、長崎電報局の各課長は、所属課の主任のうち組合運動に批判的ないし関心の薄い人たちを主任会議の名目で一ヵ所に集め、そこで管理者が全電通に対する非難の意見をのべ、組合分裂を期待する意向を表明し、全電通の切崩しをはかつた。この会議は第二組合が発足する直前に行われ、会議に出席した主任の大部分は、その後、第二組合に参加した。

(4) 同年三月二七日、長崎電報局分会所属の組合員中村重雄宅に同分会の分派グループ約三五名が集まつて民主同志会発足の最終的な打合わせをした。この会合は、もともと長崎電報局労務主任小佐々武(非組合員)宅で行われることになつていたが、組合に察知されて急拠右のように会場を変更したものである。その間は被告は右会合を成功させるために種々の便宜を供与し、組合分裂を容易ならしめた。

(5) 長崎電報局分会で民主同志会が発足して間もない同年三月末日ごろ、長崎電報局第二通信課の鶴田副課長は、主任である組合員徳田祐造(当時第二通信課職場委員)に、君たちにとつて民主同志会の方がよいのではないかと、暗に民主同志会に参加すれば職場上なにらかの利益にありつけるかのごとき誘いかけをして、徳田主任を民主同志会に加入させようと策動した。

(6) 同年四月ごろ、偶然のことから鶴田副課長のスパイ・メモが組合員の目にふれ、鶴田副課長が長期間にわたつて組合の動きを詳細にスパイしていたことが明らかになつた。この鶴田の組織介入行為は、昭和三六年一一月の長崎電報局における団体交渉のとき、組合側からはげしく追及されて問題になつた。

(7) 昭和三五年四月ごろ、長崎市内において逓信講習所高等部同窓会が開かれたとき、その席に出席していた長崎通信部次長渡辺新吾(非組合員)は、出席組合員に対して、全電通長崎県支部を非難し、第二組合結成をすすめる発言を行つた。

(8) 民主同志会発足直前から、長崎電報局は組合員に対する長期出張を故意に大幅に削減し、組合員の不満をたかまらせた。長崎電報局分会内の分派グループは、これに同調して、組合が闘争をやりすぎるからこんなになるのだと宣伝し、組合に対する不満をあおつた。

(9) 長崎電報局は長崎電報局分会の申し入れを無視して、休日時間外労働協定の締結を長時間にわたつて拒否し、低賃金の故に、やむを得ず休日時間外労働をせざるを得ない組合員の不満を醸成しながら、一方では同分会が協定締結に応じないと虚偽の宣伝をして、組合員の分会に対する不満をあおろうとした。同分会の分派グループは、公社と歩調を合わせ、長崎県支部及び同分会を非難して、組合を切崩そうとした。

(10) 長崎電報局は、従来、組合員が年次有給休暇を請求しても、業務上の理由などを口実に有給休暇を認めないことが多かつた。とくに、組合活動のためには年次有給休暇請求は認められないのが普通になつていた。しかるに、民主同志会が発足してからは、同志会員が分派会議その他の分派活動のために年次有給休暇を請求すると、長崎電報局はほとんど無条件にこれを認めて分派活動に便宜を与えた。これは同志会員以外の者の場合にくらべて甚だしい差別扱いであり、組合切崩しの意図を露骨に表明したものである。

(11) 長崎電報局で民主同志会が発足して以来、被告は同志会に電報局監査課の訓練室を自由に使用させて、同志会の活動を容易ならしめた。従来、被告が長崎県支部や長崎電報局分会にこの種の庁舎を使用させた事例は全くなかつたのであるから、これは民主同志会に対する一方的差別的便宜供与にほかならなかつた。

(12) 民主同志会の動きが表面化したころ、長崎電報局では主任などの一つの空席に対して、六、七名ないしそれ以上の組合員が昇任の話しを持ちかけられるという前例のないことが、さかんに行われるようになつた。そのやり方は、組合活動を止めたり、民主同志会に加入したりすれば、空席に昇任させられるという期待を抱かせるようなものであつた。これは人事権をふりかざして組合員の動揺をねらうという悪質な切崩しであり、組合の組織運営に介入するものとして職場で大問題となつた。

(13) 長崎電報局分会に民主同志会が発足したとき、長崎電報局庶務課机上勤務者の大部分は同志会に参加した。庶務課机上勤務者谷口勢一は、そのころ一般に好ましい職場とされていた庶務課人事係であつたが、同志会に参加しなかつたため、間もなく監査課に左遷された。

(14) 全電通の各組織では団体交渉のときには随時上部機関の役員が出席しているが、全電通長崎県支部及び傘下各分会の団体交渉に限つて、昭和三四年ごろからそれが認められていない。長崎電気通信部は組合側上部機関の役員が出席する団交を拒否し、労組法、公労法に反する不当な取扱いを行つて来た。

(15) 団体交渉のとき、必要があれば労使双方とも相手方の同意を得て、説明員の出席を要求できることになつており、全電通の各組織では必要に応じて説明員の出席を得て団体交渉が行われるのが普通になつている。しかるに、全電通長崎県支部及び傘下各分会では昭和三四年ごろから長崎電気通信部は説明員の団交出席をいつさい認めず、説明員の出席が全くないという他の通信部と著しく異なつた不十分な団体交渉しか行われていない。

(16) 昭和三三年四月二七日明け方、長崎電話局自動改式闘争のとき、長崎電話局庶務課長小谷松雄は長崎県警に対して警官隊の出動を要請し、そのため数十名の警官隊が長崎電話局庁舎内に立入り、正当な団体交渉を妨害した。

(17) 昭和三四年三月一八日、全電通長崎県支部と長崎通信部が団体交渉をしていたとき、私服警官約三〇名が長崎電気通信部前道路上に出動し、団体交渉に圧力を加えた。これも通信部の要請によるものであつた。

(18) 同年一一月二七日、全電通長崎県支部対長崎電報局の処分撤回交渉が行われたとき、制私服警官隊二百数十名が長崎電報局の庁舎内交渉場前廊下に集結し、労使間の交渉に不当な圧力を加えた。これも局側の要請によるものであつた。

(19) 同年九月から現在まで、長崎電報局分会長をしている川原光次に対して、長崎県警警備課所属の警察官某は数回川原宅を訪問して組合の動向をきき出そうとし、同人の留守中に約三〇〇円相当の菓子箱一個を置いて行つたこともあつた。

(20) 長崎電報局分会に昭和三二年四月から三五年一〇月まで、組合書記として勤務していた宮永瓔子に対し、昭和三四年一月ごろから長崎県警のウエダ、あるいは林と名のる警察官がしばしば交際を求め、組合の情報を知らせてもらいたいと要求し、あるときは、分会ニユースを一部一〇〇〇円で買いたいと申し入れたこともあつた。その間、宮永は前記警察官から何度も飲食の接待、その他の利益を提供された。

(21) 長崎公安調査局員某は、全電通長崎電報局分会の元書記長の兄、鈴木節夫(国際電報局勤務)に近づき、君の弟は組合でどんなことをしているのか、共産党員ではないのかなどと話しかけて、全電通長崎県支部の内情や組合運動についての情報を得ようとし、昭和三七年一一月ごろ、アメリカ製洋酒二本を置いて行つたこともあつた。これは組合の動向と組合活動家の身辺を兄を通じてスパイしようとした悪質な工作の一つである。

(22) 昭和三五年九月一〇日、大村電報電話局において扇谷繁雄副課長(非組合員)のスパイ・メモが組合員に発見された。右メモには扇谷副課長の長期間にわたる組合活動スパイの結果が記入されており、分会の追及により当局もスパイ活動の事実を認めて組合に陳謝した。

(23) 昭和三六年三月一六日の春闘のとき、雲仙電報電話局分会が闘争拠点に予定されるや、小浜警察署は全員で雲仙分会の監視に当り、雲仙分合員馬場鶴男他二名を終日執ように同署員に尾行させ、組合から抗議された。

(24) 昭和三五年九月中旬ごろ、長崎電気通信部長名による「労務実態調査及び自治監査の実態について」(同月一〇日付)と題する秘密文書が発見され、長崎電気通信部傘下の全職場において、組合内部の動向や組合員の思想調査が大規模に行われている事実が暴露された。調査内部は、長崎県支部組合員の思想、政党関係、組合活動、学習活動、組織内部の動向など九分類四七項目にわたる詳細なもので、調査の目的は明らかに労働組合切崩し、思想弾圧をねらつたものであつた。同支部は、右を長崎電気通信部の最も悪質な労務対策であるとして重視し、抗議行動を行うとともに、九州地方本部と九州電気通信局の団体交渉により、九州電気通信局は全管内に同種の調査を命じたことを認め、長崎電気通信部については、従来から対組合問題でしばしば行きすぎがあつたことを認めて陳謝した。同年一二月二四日、九州電気通信局は同地方本部との間に書簡を締結し、今後このようなことをしない旨、組合に誓約した。

(25) 有川電報電話局川口庶務課長は、昭和三四年の新入社員に対して全電通を非難し、組合加入を妨害する行為をした。また、昭和三五年三、四月ごろ、同課長は有川分会組合員宅を個別に訪問し、全電通の組合運動を非難し、組合から脱退するよう勧奨した。そのころ、同分会で組合脱退の動きが表面化すると川口庶務課長は脱退声明の作成等を指導し組合分裂を支援した。そのため同分会組合員五〇名中一八名は全電通を脱退し現在に至つている。

(26) 雪仙電報電話局長森茂三は、昭和三六年三月ごろ、雲仙分会婦人部長であつた草野ふきえ宅を訪問し、同人の父に対し「草野ふきえにあまり組合活動をしないようすすめてくれ」と話した。

(27) 昭和三五年一二月八日、長崎電報電話局分会書記局に宿泊していた組合員森田和雄が当夜宿直していた第二通信課主任の許可を得て被告所有のフトンを借りて使用したところ、翌朝、長崎電報局次長橋本敏雄(労務担当)は長崎電報局分会が、被告のフトンをぬすんだので告訴する旨、不当な発言をなしたが、ついに、九州電気通信局対九州地方本部の団体交渉の席上で、被告側はその行過ぎを認めた。

(28) 同年三月初めごろ、大村電報電話局施設課長金原時雄は、大村分会の組合員橋本吉弘を大村市内にある長与酒店、料亭浦島につれこみ酒食を供したうえで、同分会の活動を非難し、組合批判せよ、悪いようにはしないと持ちかけ、組合では川浪分会長が中心人物だ、あいつがいなければうまくゆく、と本心をうちあけ、組合員が川浪分会長に対立するよう仕向け、組合を切崩そうとした。

(29) 金原時雄と高橋朝雄局長は、同年四月一日入社の園田盛彦、豊田正次の両名に対して社員の心得を話す機会を利用して組合を非難し、組合活動に入らず勉強しなさいと話して組合加入を妨害した。

(30) 金原時雄は同年一一月上旬、大村分会の組合員古川保を大村市内西三城にある菊屋食堂にさそい酒食をすすめたうえ、組合活動をやると将来悪い影響があるぞ、とおどした。

(二) 被告は、三・一六闘争に関して長崎県支部及び同支部の下部組織である大村分会の中心的活動家である原告(当時長崎県支部書記長)、福本貞勝(同執行委員長)、平田政道(同副執行委員長)、取下前の相原告川浪清秀(当時大村分会長)を公労法一八条により解雇した。

右各解雇は、昭和三二年ごろから公社が一貫して企ててきた長崎県支部切崩し工作の総仕上げともいうべきものであり、直接には同支部及び大村分会の中心的な組合活動家である原告外三名を解雇することによつて同人らに不利益を与え、同時に同支部、同分会の組織、運営に対する支配介入をねらつたものであり、このことは大村闘争に全然関係しなかつた者まで組合活動家であつたというだけの理由で懲戒処分を受けていることからもうかがわれる。(例えば、近藤八郎、小宮松治、佐々田勇二、宅島綾子)。被告が原告外三名を解雇した真の理由は原告外三名がかねてから熱心な組合活動家であり、被告がこの機会に全電通の組織切崩しをはかろうとしたことのためである。したがつて、原告外三名に公労法一七条一項に違反する行為があつたなどというのは、被告の不当労働行為意思を隠蔽するための口実にすぎず、本件解雇の決定的動機は、被告の不当労働行為意志の実現であつたといわなければならない。このような解雇は、原告外三名に公労法一七条一項違反の行為があつたとしても、やはり不当労働行為である。よつて、原告外三名に対する解雇は労組法七条一号、同三号の禁止する不当労働行為であり、民法九〇条の公序良俗に反するものとして無効である。

4  本件解雇は、次に述べるとおり解雇権の濫用として無効である。

(一) 被告は、昭和二八年度から電信電話事業合理化第一次五か年計画を実施し、引きつづき昭和三三年度より第二次五か年計画を樹立し、大幅な電気通信設備の改革を強行して来たため、被告職員の労働不安、労働強化を引起こす事態となり、全電通はそれに対する闘争に取組まさるを得なくなつた。

特に設備改革に伴う要員問題は重大関心事であり、全電通としては要員協定の締結を強く主張し、被告は管理運営事項を理由にそれを拒否するという態度に終始したため、全運通は要員協定締結要求を中心とした合理化反対闘争を一層強化せざるを得なかつた。

ところが、被告はこのような全電通の合理化反対闘争を敵視し、ことごとに組合に対し不信、不誠実な態度をもつて対処し、より強引な組合運動に対する支配圧迫を策し、報復的な懲戒処分を強行して、第二次五か年計画を達成させ、更に第三次五か年計画も同様の手段で実施にうつそうとしたのである。

かかる労使関係の中で、全電通は三・一六闘争を実施せざるを得なかつたのであるから、闘争の決定的原因は被告の労働者にのみ、労働不安、労働強化の犠牲を強いて、一方的に強行した合理化計画の実施にあつたことは否定出来ない。もし、被告が全電通労働者の労働不安の解消に誠実に取組み、労働条件の改善に最善の努力を尽して、労使の基本了解事項に基づく要員協定の締結の方向に向つていたならば三・一六闘争が発生していなかつたことは明らかである。

したがつて、本件争議行為の発生について被告に大半の責任があるといわなければならず、被告が全電通の闘争を一方的に違法視したり非難することは許されないといわなければならない。本件解雇は被告の右のような責任について、全く考慮せずになしたものであつて、あきらかに処分権の濫用である。

(二) 更に原告が参加した大村電報電話局における三・一六闘争に至る経過を見れば明らかなように、当日の紛争拡大の責任は、被告の異常なまでの組合敵視、不信の態度及び強権発動を行つたことにある。

即ち、被告は三・一六闘争の前夜より全電通側と現地局内において団体交渉を行い、保安要員問題について交渉をすすめていたのであるから、それを一方的に打切らずに一六日早朝も継続していたならば、その機会に相当数の管理者を交渉要員として局舎内に入れ、保安要員の確保が可能であつたことは明らかである。

組合側もそれに応ずる態勢で待機していたのであるから、もし何等かの危惧する事情があれば、大村局における全電通側の責任者である横崎九州地方本部書記長に尋ねて、危惧する事態を解消させて、局舎内に管理者を入れ、団体交渉を行うことは可能であつたから、それを実行していれば、三・一六闘争における紛争を事前に回避できたことは明らかである。

しかも大村における被告側管理者らも、全国的に連絡をとり、他局において前夜から管理者らが局舎内に入り込み、保安体制を確立するという方法をとつていることを、熟知していたのであるから、他局と同様の手段を講ずることは容易であつたといわなければならない。

しかるに、それらの措置の一切を敢てせず、殊更紛争を拡大する方向で対処したのである。

被告は、かねてより活発な組合活動を行つている長崎県支部、大村分会を嫌悪し、まさに三・一六闘争を契機に両組織を全面的に破壊し、組織の弱体化をはかろうと企て、紛争拡大の挙に出たとしか考えられない。

この様に大村における三・一六闘争の紛争は、それに対する被告の対応の誤りないし意図的な組合破壊を目的とした紛争拡大方針に基づくものであるから、その責任の大半は被告にあつたといわなければならず、かかる事情を度外視してなした本件解雇は、明らかに処分権を濫用したものであつて無効である。

(三) また、三・一六闘争は、全電通が全国的に行つた争議である。被告は、その中から特定の者のみを解雇処分に付したのであるが、原告については、三・一六闘争時の行為が全電通の指令を超えてなされたから、即ち指令一〇号には全然指示されてない「管理者の入局阻止を強力なピケをもつて実行したから」であるというのである。

しかしながら、以下述べる様に被告の主張は誤りである。

全電通は昭和三五年七月七日から同月一一日まで行われた第一三回全国大会において、三・一六闘争時に強力な「実力行使」を以て合理化反対闘争を行うことを確認し、それに基づき昭和三六年二月一四日から同月一七日まで行われた第二六回中央委員会において具体的な春季闘争方針を決定し、その提案理由説明の中で全電通中央本部金子哲夫組織部長は「実力行使」時における管理者の入局拒否を指示した。

翌一八日戦術会議を開き、右方針を更に具体化し、それを派遣中闘を通じて、下級機関に指示指令した。下級機関である長崎県支部が、支部執行委員会や分会責任者らにその趣旨を徹底したのであるから、大村電報電話局における三・一六闘争において、管理者の入局が拒否されたとしても、それは全電通中央委員会で決定した事項であつて、現地の闘争責任者横崎九州地方本部書記長の指示指導のもとに、忠実に実行しただけのものである。

そうだとすれば、「全電通中央委員会の指令指示を超えてなした」管理者の入局阻止を理由とする本件解雇はその根拠を欠き無効となることは言うまでもない。

(四) 仮に「管理者の入局阻止」が解雇処分の基準であるとすれば、被告が主張するようにその様な行為を積極的に企画、決議、指導したものの責任を問うのが当然であり、まずかかる指令、指示を行つた全電通中央執行委員会の執行委員長や、執行委員が第一の解雇対象者であり、更にそれを忠実に伝達、指示した派遣中闘、各地方本部の責任者が第二の対象者であることは、右の経過から明らかである。

そのことは公労法一八条の解雇規定の趣旨が、(ここではその違憲性を論じない)同法一七条一項の争議行為禁止規定違反者を排除することによつて、争議行為がなされないようにすることを狙いとしていることからみて、右の如き中央本部における「管理者入局阻止」を決定した機関関係者を第一に、またその決定を下級機関に指示、指令し、その実行を要求したものを第二の解雇該当者にあげるのが、合理的だからである。そして、右の様な規準に則り処分を行うことこそ、処分の公正、平等の原則に合致することとなる。

しかるに、全電通中央執行委員会構成の執行委員長、執行委員、各地方本部の執行委員長、執行委員について、停職一年ないし四月の処分に留め、原告の如き下級機関の役員のみ解雇処分に付したのである。

かかる処分は、被告の処分基準設定そのものに誤りがあり、且つ恣意的な判断をもつて行つたと言わざるをえず、不均衡、不公正、不平等なものである。

よつて原告に対する本件解雇は、合理的裁量権を逸脱したものであつて、処分権の濫用として無効といわなければならない。

(五) 被告は原告を解雇処分に付したのは、原告が大村局における三・一六闘争時、デモ隊に対し、局舎前に停めていた県評の宣伝カーのマイクを使用して、ときどきピケ隊の配置を指導し、情勢を報告したり、アジ演説をぶつたとか、警官隊の出動に際しピケ隊に号令して「座り込め」「ベルトを握れ」と令下してスクラムを固めさせたとか、ピケ隊及びデモ隊の指揮や、自らピケを張つたりデモをかけたりして、警官にゴボー抜きされたからであるというのである。そして、そのようにして、職員全員に職務を放棄させ、管理者の入局を実力で一切阻止して、正常な業務を阻害したからであるというのである。

しかしながら、原告の大村局現場での行動は、全電通執行委員会の指示指令、中央執行委員会の決定及び派遣中闘、現地闘争責任者全電通九州地方本部書記長横崎重雄の指示指令を、長崎県支部書記長として、誠意をもつて忠実に行つただけであつて、まさに下級機関の一役員としての任務遂行の域を出ていない。

そうすると、原告が大村局現場において行つた言動が、同人を解雇するための決定的原因であるとするなら、右横崎書記長も同様な処遇を受けなければならないことになるのである。然るに被告は、横崎書記長に対しては停職一〇月という処分に留め、原告を含む県支部三役及び大村分会長に対してのみ、解雇という苛酷な処分を行つた。これは明らかに、合理的裁量権を逸脱した不均衡、不公正、不平等なものであることは、明らかである。

よつて本件解雇は、合理的裁量権を逸脱したものであつて、解雇権の濫用にあたり無効である。

(六) また、本件解雇を最近までの類似事案と比較してみると、極めて不均衡、不平等、不公正である。即ち、昭和三二年以降昭和三六年七月までの闘争については、三・一六闘争以外全く解雇がない。

また、昭和三八年以降行われた多数の争議行為についても、その規模が全国的であり且つ長期間(八時間)に及んでも、本件の如き解雇は皆無に等しい。

これから見ても、本件解雇は特異な処分という外はない。

しかも三・一六闘争は、既に県、市民にストライキに入ることを公示しており、市民に知らせてあつたうえ、市内商店街が休日であつたこともあつて、市内電話の利用度が極めて低く、また当時市外電話も回線の都合があつて、常時遅延状況にあつたため、本件争議行為によつて生じた電信電話の遅延が、国民生活に及ぼした影響は極めて少なかつた。それは本件では扇谷副課長、中尾主任が電話交換業務につき、病院、警察等の重要加入者回線の処理はしていたからである。

そのことは、三・一六闘争後長時間のストライキが行われても、国民生活に支障を生じていない事実から明らかである。

この様に本件争議行為は、その目的、原因、規模、態様、国民生活への影響を考えると、極めて軽微であつて、原告の如き県支部役員を解雇し、事業体から排除しなければならないようなものでなかつたことは明らかである。

しかも、本件解雇は、表面上解雇予告手当支給の形式をとり、労働基準法(以下労基法という。)二〇条の一般解雇のようにみえるが、実質は公務員や公社職員の懲戒免職と同様の苛酷な取扱いをしているものである。

即ち、退職手当請求権は就業規則一〇六条により懲戒免職と同様全面的に剥奪され、その支給を受けられないし、又共済組合の長期給付の受給権も日本電信電話公社共済組合運営規則五〇条及び昭和三五年三月一六日公社職員局長通達によつて大幅に減額制限されている。

かかる不当な取扱いをうける本件解雇は、本来争議権行使者に対する民事免責の法理からみて、到底許されるものではない。

右の事情を総合すれば、本件解雇は合理的裁量権の逸脱が明らかなる場合に該り、且つ不均衡、不公正、不平等であつて、解雇権の濫用として無効なものといわなければならない。

二  被告の本案前の主張

本件訴えは次に述べるとおり、信義則に違反するものとして却下すべきである。

1  原告は、訴え取下前の相原告川浪清秀らと共に本件と同一事案につき被告を相手として昭和三六年一一月三〇日、長崎地方裁判所に雇傭関係存在確認請求事件(当庁昭和三六年(ワ)第四八二号、以下前訴という。)を提起した。前訴については、少なくとも一八回の口頭弁論期日(関係記録が保存期間の経過により全部は存在しないので正確な回数は不明)が開かれたほか、検証、証人尋問(少なくとも一二名)、及び書証の提出(少なくとも甲号証は七三号証の六まで、乙号証は二八号証まで)がなされ、裁判所及び訴訟関係人がこれに要した労力、時間、費用等は多大なものであつた。

しかるに、審理が大詰めを迎えた昭和四一年八月一九日、原告らが訴えを取下げた。

本訴においては、原告は解雇の時からすれば約一二年余、前訴の取下げから起算しても約七年余を経過した昭和四八年一二月一二日、突如本件訴えを提起してきたものである。

2  そもそも雇傭関係の存否についての紛争は、使用者側の経営秩序のためにも早期に解決されることが要請されるのである(労組法二七条二項、公労法二五条の五第四項、労基法一一五条参照)が、本訴のように解雇により一〇数年前に職場を離れた者がその後長期に亘り解雇の効力について争うことを放置した状態で年月が経過している場合には、使用者側は被解雇者との間に雇傭関係が消滅したことを前提として、企業組織ないしは企業秩序を形成していかざるを得ない。

あまつさえ、原告は右に述べたとおり一旦、本件解雇を争つて提訴し長期間にわたる審理の後、まさに弁論終結を迎えんとする段階を目前にして訴えを取下げたものであるから、被告としては、原告との間の紛争が事実上終局的に解決をみ、もはや再び争われることはないものと信じていたのである。

右のような経過によつて終了した本件紛争について、約七年余という長年月を経過した後に再び訴えを提起することは、紛争のむしかえしであり、しかも被告の法的立場を極めて危うくするものといわなければならない。

3  さらに原告は、昭和四六年四月に行われた長崎市議会議員選挙に日本共産党から立候補して当選以来、現在まで同議員として活動中であり、議員活動や党活動に多忙をきわめているものと思われる。

したがつて、原告は被告とはかかわりのないところで自分らの生活基盤をすでに充分に確立しており、客観的にみて到底被告公社職員として職場に復帰できるような状況にない。

4  以上述べたことから明らかなように、本件訴えは、労使間の法律関係の安定を害すること甚しく、訴権の行使としてはあまりにも恣意的であつて信義則に違反する行為であるから、不適法却下すべきものである。

三  被告の本案前の主張に対する原告の答弁

1  本案前の主張1の事案は認める。

2  同2は争う。

即ち、被告主張の各法条は、被告主張の如く経営秩序を優先配慮したものではない。

例えば、労組法二七条二項の不当労働行為申立除斥期間を一年に制限したのも、不当労働行為救済制度が使用者の労働者に対する団結権侵害の生の事実行為を排除して、その行為がなされる以前の状態に労使関係を回復させようとするものであるから、事実認定の困難性救済の実効性等から政策的に定めたにすぎないのであつて、行為の違法性、無効性判断を基礎にした裁判制度には、なじまないものである。ちなみに、右除斥期間は不当労働行為事案についても労組法上の救済申立についてのみ適用されるものであるから、同一事実関係について裁判所に仮処分申請手続を行う場合、適用されるものではない。公労法二五条の五第四項も同様である。労基法一一五条は、同法上の請求権の時効の問題であるが、最も重要な賃金債権について民法上一年の短期消滅時効が定められ労働者保護に欠けるところから、二年としたに過ぎないものであつて、被告の主張は失当である。いずれにしてもこの様な特別の立法措置が講ぜられている場合は格別、そうでない場合にたやすく右規定を類推して解雇無効の主張に期間的制約を課することは誤りである。

また、被告は原告を解雇した後、その雇傭関係が消滅したことを前提に企業組織ないし企業秩序を形成してきたから、本件訴えはその組織や秩序を乱すものである旨主張するが、かかる既成秩序の尊重は絶対的なものではなく、殊にそれが違法ないし無効な行為を前提として形成維持されたものである場合には、その法価値は低下せざるを得ない。

一般に企業が労働者を解雇した場合には、企業は当然その者が有効に解雇されたものとして、その後の当該企業における労働者配置を行い、企業内秩序の形成をはかるであろうが、その後右秩序が一定期間維持されても、当初の解雇が無効をされればその秩序が一部覆されることは免がれず、被解雇者において右解雇の効力を争うのがある程度遅れたとしても、単に既成秩序の尊重という点のみから、右解雇無効の主張が当然に信義則に違反するものではない。

そして、原告の本訴提起が遅れた事情は次に述べるとおりであるから、何ら信義則に違反するものではない。

(一) 原告が、前訴を取下げたのは、当時、全電通が組織的に裁判闘争に取組んでいた高松地方裁判所における三・一六丸亀電報電話局事件裁判の勝訴、また、裁判闘争中の本社支部三役解雇事件(いわゆる千代田丸事件)、津電報電話局の分会三役の解雇事件について、いずれも団体交渉により復職が成功したので原告らの復職も全電通全体の復職交渉によつてかちとれると判断し裁判闘争をとりやめ二年間を目途に復職交渉を進めるということにしたからである。

原告は右方針に反対であつたが、全国大会において新潟地方裁判所に係属中の事件を除き訴えを取り下げ、交渉によつて復職をかちとるという方針を承認、決定したので、原告はやむなくそれに従つた。被告も当時労務管理機構や、その後の復職交渉を通じて、全電通の右の如き方針決定に至る経過や方針決定を熟知し、被解雇者及びそれをかかえる全電通下部組織が裁判取下げに相当な不満があり、もし復職交渉による復職が実現しなかつた時は再び裁判による復職斗争を再燃させることを予知していたであろうことが充分うかがわれる。

(二) しかし、全電通本部が昭和四一年八月以降二年間を通じて被告に対して行つた三・一六闘争被解雇者中復職交渉対象者に対する復職交渉は失敗に終つた。

復職交渉の失敗はすべて、被告に対する自民党の政治的圧力によるものであつて、原告を含む被解雇者側に起因する事柄でなかつた。被告も原告らが自民党筋による政治的圧力によつて復職が妨害されて不満を持ち、裁判による復職闘争を再燃するであろうことを知悉していたといわなければならない。

(三) 全電通は、昭和四三年七月二九日の第二一回全国大会において、復職交渉を打切り、原告を組織から離籍する決定をなした。

原告は、全電通離籍後も、全電通労働運動の一翼を担いたい意思を有していたので、長崎県支部に対して、書記として雇傭するよう希望した。同支部は、原告の希望をいれて、昭和四五年八月まで原告を書記として雇傭した。したがつて、原告は昭和四三年七月以降全電通による復職交渉が打切られ同時に全電通から離籍した形となつたが、なお二年間全電通の書記として組合運動に参加したため、実質的には全電通の一員として組合の前記決定に拘束されることとなり、自から裁判による復職闘争を提起することが出来ない状態におかれていたが、昭和四五年九月一八日以降訴えが提起できる状態になつた。

原告は右書記退職後直ちに長崎県下の全電通組合員二五〇〇名余りに対し、葉書で「組織を離れても、この不当な解雇については裁判で争う決意である」ことを表明した。

(四) 右の様な経過から、原告は昭和四五年一〇月頃から長崎県支部の友人に協力を頼み、裁判闘争の準備をはじめた。まず、原告の裁判闘争に協力する有志を糾合するため、同年一一月頃「柴田朴を励ます会」を結成し、その宣伝活動を開始した。

同年一一月一九日、三・一六解雇裁判を守る会準備会の名称で「三・一六不当解雇を再提訴するに当つて、県下組合員の皆さんの御支援を」という標題のビラを作成し、三・一六闘争とそれに対する不当解雇撤回を求める再提訴の意義を長崎県支部組合員には勿論、長崎通信部、電報電話局等被告の管理者にも右屋舎入口で配付し訴えた。また、昭和四六年二月二五日、柴田朴さんを励ます会編集委員会作成の「三・一六裁判の再開にあたつて、みなさん御支援をせつに訴えます」という標題のビラも、その頃長崎県支部組合員は勿論被告の管理者にも配付した。

したがつて、昭和四五年一一月頃被告は原告が本件裁判を起こすことを熟知していたといわなければならない。

ただ提訴が昭和四八年一一月になつたのは、原告が昭和四六年四月の統一地方選挙で長崎市議会議員に立候補し、当選して初めての議員活動を開始したため、裁判闘争の準備が若干手間どつたからである。

3  同3の事実中、原告が昭和四六年四月長崎市議会議員選挙に立候補し、当選し、以後現在に至るまでその職にあることは認め、その余の事実は否認する。

即ち、被告職員で長期間に亘り地方自治体における議員活動や政党活動を行つているものは多数おり、右議員活動、政党活動を止めた後再び職場に復帰している者も多数いる。これは日本電信電話公社法二八条二項により「市(特別区を含む)町村の議員である者」は公社職員としての資格を保有すると明記していることに起因している。

したがつて、原告のみ例外的に取扱うことは誤りである。

4  同4は争う。

四  原告の請求原因に対する被告の認否及び反論

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2は争う。

3  同3の事実中、被解雇者らの全電通における役職は認め、被告が不当労働行為をなした事実は否認する。(2)中の全電々が結成された事実は認める。(24)中の労務実態調査及び自治監査が行われた事実は認めるが、その目的は否認する。

4  同4の事実中、第一次ないし第三次五か年計画の存在は認め、その余は否認する。

5  原告の本訴における労働関係上の権利行使は信義則に違反し、あるいは権利失効の場合に該当する。その理由は、前記二で述べたとおりである。

6  被告が、原告を解雇したのは次に述べる理由に基づくもので適法なものである。

(一) 全電通は、昭和三六年三月一六日全国五九か所の拠点において、始業時より午前一〇時まで全組合員が参加し、いわゆる保安要員を一人も残さない形での勤務時間内職場大会と称する同盟罷業を行つた(三・一六闘争)。

長崎県においては、大村電報電話局(以下大村局という。)が拠点となり、午前八時から午前一〇時まで同盟罷業が行われた(以下本件拠点闘争という)。

本件拠点闘争が行われた三月一六日の始業時から午前一〇時までの間の大村局の管理者を除く職員の出勤時間別予定人員は、午前七時出が一名、同八時出が一六名、同八時半出が二七名、同九時出が三名計四七名となつていたところ、始業時から午前一〇時までの時間帯においては、これら四七名の職員全員が出勤しなかつたばかりか、原告らは被告側管理者の入局をも阻止したため、本件大村局における主たる業務である電話交換業務をはじめとする被告の業務は完全にストツプした。

(二) ストツプした業務は次のとおりである。

(1) 当時、大村局の市内回線数は八三二であり、一日の平均取扱数は一四、九〇三度であつたが、これを時間別にみると、午前八時頃より次第に多くなり、午前一〇時前後が最も多く、午前八時から午前一〇時までの通常日の平均取扱数は二、三七八度であつた。この通話を通常は交換手四名ないし五名で接続しているが、闘争当日は、午前八時から同一〇時までの間一名も勤務しなかつたため、加入者から発信する通話も、加入者にかかつてくる通話も全くストップした。

(2) 当時、大村局の通話サービスは、交換手が接続する、いわゆる手動式であり(加入者がダイヤルするだけでつながる自動式に対するもの)、市外通話についても加入者がまず交換手を呼び、その申込みを交換手が受けつけて、一たん電話を切り、接続の順番がきたとき、あらためて加入者を呼び出して接続する取扱方法で、交換手なしには接続できない方法であつた。

市外通話の通常日の平均取扱数は、一日二二一九度であり、これを時間別にみると、午前八時頃より次第に通話が多くなり、午前一〇時前後が最も多く、午前八時から午前一〇時までの取扱数は三一五度であつた。

この通話を通常四名ないし五名で接続しているが、当日は午前八時から同一〇時までの間、一名も勤務しなかつたため市外通話は完全にストツプした。

(3) 電話交換業務のサービスとしては、市内・市外通話の接続のほか、電話番号の問い合わせに対する案内、市外通話の受け付けをする記録等があるが、前述のように闘争当日の午前八時から同一〇時までの間は、出勤すべき職員が職務を放棄し、さらに被告側管理者も入室出来なかつたのであるから、電話番号案内、記録等のサービスが全くできなかつた。

(4) 当時、大村局における通常日の電報の平均取扱通数は、一日、発信一二三通、着信一四一通、中継一二四通計三八八通であり、このうち、午前八時から午前一〇時までの取扱通数はそれぞれ発信一四通、着信八通、中継九通計三一通であつた。本件闘争が行われた三月一六日は勤務すべき電報関係職員六名(内勤四名、外勤二名)全員が午前八時から同一〇時までの間、その職務を放棄したため、その間、電報は完全にストップした。

(5) 電話交換、電報受付配達等のほかに、電信電話機械の保守(電圧調整、電池測定、障害受付とその修理、障害電話の試験等)、電話線路の保守(障害電話機の修理、電話機の移転、架設線路の修理、電話営業(加入電話の新設申込の受付、電話機設置場所の移転、名義変更の注文受付、電話料金の計算事務、支払請求書の発行、料金収納等)、庶務、会計等の各業務は、いずれも組合員である職員が職務を放棄したため、闘争当日始業時から午前一〇時までの間完全にストップした。

(6) なお、もともと電話や電報による通信は、その性質上、一局内の発着ですむもののみでなく、他の各地の局との間に発着したりして取扱われているものが多いが、本件大村局は、とくに公衆通信の中継の要路にあたる局であつたため、この大村局管内に発着する通信についてはもとより、この局と他の各地の局との間に発着する通信についても大きな阻害を生じさせた。

(三) 本件拠点闘争により、前記のとおり始業時から二時間もの間、大村局の業務が完全にストツプしたことにより、一般公衆に多大の迷惑をかけるに至つた。

(四) 原告の本件拠点闘争に関する行為は概ね次のとおりである。

(1) 原告らを中心とする長崎県支部は、昭和三六年三月二日、県支部代表者会議を開催し、ストライキ態勢を固めていた。

即ち、同支部は本件闘争の準備指令〔同年三月一〇日付 指令第九号〕も発出されていなかつた三月二日に、すでに県支部代表者会議を開催し、同支部の態度として

(ア) ストライキの覚悟で強力に闘争を行う。

(イ) 拠点闘争を同支部一ヶ所で行う。

(ウ) 三月一三日から一八日までの間に第一波の実力行使を行う。

(エ) 三月二五日から三〇日までの間に第二波実力行使を行い闘争の最大の山場にもつていく。

(オ) 拠点闘争の場合は完全にピケを行い、拠点闘争以外の分会では、拠点に対し支援ピケを行う。今闘争の場合、管理者も絶対にいれない。

(カ) 拠点については、保安要員も全然おかない。周辺分会は勿論支援ピケを行う。

(キ) 局舎単位で拠点を決める。拠点闘争を行うことにより、闘争戦術として後退の感がするが、そうではなく拠点以外は支援ピケの動員を行い、また、各分会は職場要求を突き上げて団交を行つて闘争し、横断幕を張つて闘争士気の高揚につとめる。

ことを決定し、積極的に本件闘争の受け入れ態勢を固めていた。そこには同支部の自主的な判断に基づく手段方法の具体化の余地があつたことは明らかである。

(2) 原告らを中心とする長崎県支部は、三月一三日「県支部連絡二一号」を発出し、各分会に対し、拠点局の受け入れ、及び応援態勢の確立等につき指示を行つていた。

即ち

(ア) 敵との関係でいずれの分会に拠点を指定するかわからないので、各分会はそれに応ずる体制をとられたい。

(イ) 分会よりの動員についても緊急に何名、何処へ出せと直前連絡もありうるのでいつでも出せる体制をとられたい。

(ウ) 各分会は一三日以降宿直体制をとられたい。

(エ) 一三・一四の両日、職場における要求書等の提出も含めた状況をかならず支部へ報告のこと。

の四項目の指示を行い、拠点局の受け入れ及び応援態勢の確立等につとめた。

(3) 三月一二日、熊本市の西島旅館において、大沢中央執行委員、九州地方本部の真崎委員長、出口副委員長、横崎書記長、近藤執行委員外四執行委員及び各県支部の代表者が出席して九州地方戦術会議が四時間もの長時間にわたり開かれたが、原告は、長崎県支部の戦術委員としてこれに参画し、具体的な闘争の実施方法、実施内容等について協議・企画を行つた。

(4) 三月一四日、原告を中心とする長崎県支部役員らは九州地方本部の横崎書記長を交えて、同支部書記局においてピケ要員の動員態勢について協議を行い、被告職員だけでなく、部外の県評、地区労及び全逓の組合に対しても支援ピケを要請した。

(5) 三月一五日午前九時四〇分頃、原告横崎地本書記長、福本県支部委員長、平田県支部副委員長らは、長崎通信部会議室を訪れ、長崎通信部長に対し、「県下における拠点闘争を行う。」という文書を手交した。

(6) 同日午後四時四五分頃、原告横崎、福本、大村分会長川浪らは、大村局局長室を訪れ、大村局が拠点局に指定され、実力行使を行う旨通告書を読みあげ局長に手交した。

(7) 原告は、同日午後一〇時四〇分頃から翌一六日午前零時五分頃までの深夜の集団交渉に参加し、「局長と庶務課長との意見不統一が多い。改式もあるので善処せよ。また、庶務課長の今のペースを変えない限り大村の合理化はうまくいかないことを確信する。」と発言した。この団体交渉の結果、被告の翌日のストに対する対策・準備などが遅らされた。

(8) 原告らは、三月一五日青年行動隊員(長崎から支援にきた者を含む)三〇数名を局舎内に無断で泊まり込ませ、かつ局舎への出入口の要所要所のすべてに見張りをつけ、被告側管理者(応援管理者を含む)が電報電話業務の運用確保並びに保守保安のため、前夜から局舎内に入局することを阻止する態勢を固めるとともに同夜、局舎内において情勢分析を行い、翌日の拠点闘争に備え万全の対策を講じた。

(9) 三月一六日午前六時二〇分頃、原告らは、大村分会役員を引きつれ、局長室に前夜から残留中の扇谷副課長及び中尾庶務主任に対し「保安要員はゼロにするから午前八時には自主的に退局してくれ。」と要求した。

(10) 同日午前六時三〇分頃、長崎通信部木原次長、大村局高橋局長ら被告側管理者が入局しようとしたところ、原告らは、大村分会組合員らと共に被告側管理者の入局者数について話し合いを強要し、入局を阻止した。

(11) 同日午前七時一〇分頃、長崎、佐世保方面からピケ応援者が到着したので、ピケが増強される前に入局しようとして、久住呂業務課長が「通してくれ。」と言つたが、原告は「課長まだ交換機は動いてるよ、なんも今、急いでバタバタせんでもよかですたい。」といかにも午前八時になれば入局ができるような期待感をもたせる発言をしたので、被告側管理者は午前八時まで待つことにした。

(12) ピケ応援者は、自労約三〇名、訴外平田が引卒してきた長崎からの支援組合員一二〇名、佐世保その他からの支援組合員一二〇名であつたが、原告は局前の総評の宣伝カーの屋根に登つて、これらピケ隊に対し、こもごもピケの編成、配置を指導し、それぞれの部署に配置した(正面玄関約二〇〇名、新局約二〇名、裏門約三〇名、駅通り約一〇名、通路及び局内約一〇〇名、合計約三六〇名)、この編成後、局前ピケ隊は、かねて準備しておいた青竹に全電通の旗をぐるぐる巻きにし、これを下腹に構えて横隊に列をつくり、被告側管理者の入局を完全に阻止する態勢を整えた。

(13) 前記(11)で述べたとおり、被告側管理者は午前八時になれば入局できるものと考え待機していたのであるが、午前八時頃、原告は「みなさん交換台はただいまストツプしました。」「ただ今からストに入ります。」と宣伝カーの上からマイクで指示した。

(14) 交換台がストツプしたという異常事態に対して、被告側管理者は業務確保のために是が非でも入局しようと「通してくれ。」「道をあけなさい。」と強く申し入れ、「公社の管理者が公社が管理する事業場に入るのになんで組合と話し合いがいるのか、そうは考えない。」と原告に対し主張したのであるが、原告は「いや、話合いをしなきやいけない。あえて、今日だけは通さない。我々の許可がいる。」と話し合いを強要し、強力なピケを張つて被告側管理者が何回も入局を試みたが、これを頑強に阻止した。

(15) 被告側管理者が入局しようとして組合との間で話し合い、入局試み、入局阻止がくり返され、時間も相当経過したので、被告側としてはこれ以上放置することはできないと判断し、午前九時三〇分、待機していた警官隊に出動を要請し、警官隊が実力行使に移つたところ、原告は、局前に停車中の県評宣伝カーの屋根からマイクを使用してピケ隊に対し「座り込め」「ベルトを握れ」と号令して、その場に坐り込みのスクラムを固めさせた。

(16) 原告はその間「副指揮」のタスキをかけ、他の組合員と共に縦横にピケ隊及びデモ隊を指揮し、かつ自らも同局周辺にピケを張つたり、デモをかけたりする等の違法行為にでたので警官隊のいわゆる“ゴボウ抜き”により列外につれ出された。

(五) 原告の前記行為は、公労法一七条一項の同盟罷業及びその共謀、そそのかし、若しくはあおりに該当する。

そこで、被告は、原告を公労法一八条により解雇したものである。

(六) 原告の主張に対する反論

原告は組合の行う指令指示は単一組織の最高機関である全国大会あるいは中央委員会の決定にもとづく業務執行のために中央執行委員会に与えられた権能であり、各級機関及び組合員はこれに従う義務があるといい、さらに本件拠点闘争は全電通組合の指令第九号、第一〇号にもとづき一切の権限と責任を附与された地方派遣の大沢中央執行委員の指導、指示のもとに行われたものであり、下級の各機関および組合員がその責を負うべきではないと主張する。

しかしながら、原告は、本件拠点闘争の実行は自ら参加しているのであるから、この点において公労法一七条一項前段に違反しており、この点について責任を負うべきであること当然である。

原告については、右に加えて公労法一七条一項後段の行為についての責任すなわち支部の役員としての行動についても責任があるのであつて、原告の主張するような理由によつてその責を免かれることは許されない。

即ち、公労法一七条一項では、職員及び組合について争議行為を禁止しているばかりでなく、職員がこのような禁止された争議行為について共謀し、そそのかし、若しくはあおることをも禁止している。

したがつて、争議行為が組合の組織的な団体行動として行われた場合に、争議行為を企画立案し、又は下部機関ないし一般組合員を指揮指導して争議行為を実行せしめた組合役員は、この共謀し、ないしはそそのかし、又はあおる行為をした者として公労法一七条一項後段違反の責を負うべきものである。

そして、このような責任を負うべき組合役員には、中、下級の役員も含まれるのである。なんとなれば、上級機関の決定し、指令した事項であつても、これを中、下級機関において確認し、さらに下級の機関ないしは一般組合員に対して指令指示しなければ実行に移されないわけである。また、上部段階における指令・指示等は一般に抽象的、概括的であるから、中、下級機関等においてさらに具体的な企画立案を行い、ついで下級の機関ないしは一般の組合員に詳細かつ具体的に指令・指示することによつてはじめて現実に争議行為が実行されるわけである。

したがつて、中、下級の組合機関であつても、それが上級の機関ないしはその派遣役員などの指揮・指導のもとにあるからといつて、争議行為の実現に責任がないことには決してならない。

本件についてみるに、原告は県支部ないしは分会の組織上の指導者として、上級機関の指令等が違法な争議行為を命ずるものであることを確認したうえ、これを実行に移したものである。

而して、全国五九か所の拠点局所のうち、本件のように青年行動隊員等を局舎内に侵入滞留させて、これを不法に占拠したり、公社側管理者の入局ないし業務執行を徹底的に妨害し、公衆電気通信業務をほとんど麻痺同様の事態に陥らしめるなど悪質過激な行動がなされたのは僅かな拠点局であつたことからみれば、本件拠点闘争において現地の県支部、分会の役員らの積極的かつ具体的な活動を否定することは到底できないところである。かつ原告は、闘争現場にあつて直接組合員を縦横に指揮して争議行為を実行せしめているのであるから、原告が争議行為を指揮指導した責任を免かれない。

なお、原告は、全電通中央本部派遣の大沢中央執行委員が九州一帯の、また、全電通九州地方本部派遣の横崎地本書記長が長崎県下のそれぞれ最高責任者であつたというが、本件争議行為の実態によつてみれば、大沢中央執行委員は現地の事情に暗く、また横崎書記長は、昭和三二年に長崎県支部から地方本部に出て、すでに四年近くも経過していたものであり、したがつて、現地役員らの積極的かつ具体的な協力なくして、細部にわたるまで直接指揮指導できるはずがない。現実に原告は、前記(四)で述べたとおり、長崎県支部の戦術委員として九州の戦術会議に参画したのをはじめ、自ら積極的に悪質過激な各般の活動をしていたのであるから、仮に大沢中央執行委員が九州一帯の、また横崎地本書記長が長崎県支部関係の最高責任者であつたとしても(多分に名目的なものと思われるが)そのために原告の責任を失わせるものでないことはもちろんのこと、軽減させるものではない。

7  本件解雇は以下に述べるとおり不当労働行為に該当しない。

(一) 原告に対する解雇の理由は公労法一七条一項違反のみであつて、他の理由は存在しない。

即ち、三・一六闘争が中央指令第一〇号に基づき全国的規模で行われた点に鑑み、被告はその直後、まず全国五九か所の拠点の争議行為の実態を調査した。続いて本社では総裁以下の幹部が処分問題につき慎重に審議を重ねたが、さらに全国の電気通信局長を本社に集め本社の幹部と協議して、全国的視野に立つて処分の衡平を期したのである。かようにして最終的には、解雇処分の発令権者である各電気通信局長が被解雇者を決定したのである。

もし、長崎県支部の役員であつた原告を本件争議行為の実態にもかかわらず、解雇するというような既定方針であつたとすれば、右のように衡平を期するための協議などは必要でなかつたはずである。

(二) また、右の手続を経て把握した争議行為の実態の面から考えるとき、指令第一〇号に基づく五九の拠点局所の中には、他の拠点局所にくらべて、特に違法性の強いものがあつた。

即ち、被告は、最少限度の業務を遂行すべく、被告側管理者をもつてこれに当てようとしたが、組合は、暴行などの違法な手段により実力をもつて、被告側管理者の入室又は入局などを阻止したり、無断で局所内にすわり込んで被告側管理者の行動を制肘したり、宿直勤務中の職員を連れ出したり、仮眠終了後に宿明勤務すべき交換要員を入室せしめなかつたり、又は被告側管理者による通信業務を妨害した。

その結果、被告の電気通信業務を麻痺させたものであり、かかる拠点局所が、全国で六局に及んだのである。

そこで被告は、かかる悪質過激な争議行為を企画、指導、共謀、実行などした組合の役員一六名を公労法一八条により解雇するのが相当と決定したのである。

長崎県支部の役員であつた原告も、右の特に違法性の強い行為をなした者と認められるので解雇したものであり、従来の組合活動を理由に解雇したものではない。

8  本件解雇は以下に述べるとおり解雇権の濫用に該当しない。

(一) 懲戒処分を行うか否か、懲戒処分としていかなる処分を選ぶかは、懲戒権者の裁量に任されているから、懲戒処分は、それが社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱しない限り、違法とはならないものである。

(二) 本件拠点闘争に関し、原告らの採つた行為の態様、程度をみれば、本件解雇は、被告の合理的裁量の範囲内にあることはもちろんのこと、社会観念上も極めて公正かつ妥当な処分であつた。

即ち、原告らは、本件闘争においては従前とは異なり、保安要員をゼロとして二時間にも及ぶ勤務時間内職場大会を強行することによつて、被告の業務に徹底的な業務阻害を与えることをもくろみ、被告側管理者の入局を完全にストツプする方針を確立し、そのなかで原告は、県支部書記長として右の争議行為の実行方法に関する謀議に積極的に加わつたうえ、争議の現場に臨み、これを指導しつつ、かつ自らピケの前面に立つて管理者の入局を完全に阻止するという、公労法一七条一項をまたずとも強い違法性をもつ実行行為をなし、あるいは要勤務者の職務放棄を実行せしめ、大村局の公衆電気通信業務に甚大な影響を与え、国民全体の共同利益を害したのである。

このように、大村局においては、他の大部分の拠点局所にはみられなかつたほど、ひどい実態をもつていたものであり、特に悪質過激であつたので解雇処分も行われたのであつて従前の争議行為や、三・一六闘争における他の拠点局所に関する処分に比べて何ら均衡を失するものではない。

(三) また、原告は、解雇権濫用の理由の一つとして上級機関役員たる大沢(全電通中央執行委員)、横崎(地本書記長)に比べて処分が重いのは著しく不均衡、不公平であつて権利の濫用である旨主張する。しかし、上級幹部が具体的な行為の如何にかかわらず、常に下級幹部より重い責任を負わなければならない道理はない。また、原告は、大沢、横崎が実際にどのような指揮、指導を行つたかについては、具体的又は詳細な主張をせず、概していえば、両名の地位や拠点局の通告行為等を強調して責任の軽重を論じているだけである。

原告は、職員の出勤阻止及びピケによる管理者の入局阻止並びにこれによる被告の業務の正常な運営の阻害という悪質過激な違法行為を大村局において中心となつて指導し、実行したのであつて、上部機関の役員の指導は形式的なものにすぎなかつたと考えられるから、上部機関の役員に対する処分との不均衡は存在せず、また、大村局における争議行為が全国の他の大部分の拠点局所に比べて、特に悪質過激な様相を呈するに至つたことについて原告の指導及び実行の責任は重いことは明らかであり、本件解雇は裁量権を逸脱していない。

第三証拠 <略>

理由

第一被告の本案前の主張についての判断

まず、本件訴えの提起が訴権の行使として信義則に違反するかについて判断する。

訴権は憲法に保障された基本的人権の一つであるから、その行使が信義則違反あるいは権利濫用などの理由で許されないとするためには、原告において、当該裁判で訴訟物として求めている権利の実現ではなく、もつぱら、他の違法な目的の実現のために裁判を利用するなど、公共機関である裁判所の機能をいたずらにもてあそび、また相手方に応訴のための不当な負担を負わせる意図に出でたる出訴に限られるものと解すべきである。そして、その出訴の原因である実体上の権利の行使が信義則違反あるいは権利濫用に該当するとしても、それによつて、実体上の権利の存在が否定されることは格別、その出訴自体をとらえて、信義則違反あるいは権利濫用として訴を却下すべきものではない。

而して、本件全証拠によるも、原告において、本訴で訴訟物として求めている権利の実現以外の違法な目的で本訴を提起するなど、裁判所の機能をいたずらにもてあそび、被告に不当な負担を負わせる意図を有しているものとは認められないから、本件訴えを却下すべきものとは認められない。

第二本案についての判断

一  原告が昭和三六年三月二五日当時被告の職員であつたこと、被告が同日付で同月一六日のいわゆる三・一六闘争に関し公労法一七条一項に違反したとして同法一八条により原告を解雇したこと、原告は本件と同一事案につき被告を相手方として昭和三六年一一月三〇日当庁に雇傭関係存在確認請求事件(前訴)を提起し、昭和四一年八月一九日に右前訴を取下げたこと、原告が昭和四六年四月長崎市議会議員選挙に立候補し、当選し、以後現在に至るまでその職にあることの各事実は当事者間に争いがない。

二  そこで原告の労働関係上の権利の行使が信義則に違反し、あるいは権利の失効に該当するか否かについて判断する。

1  前記争いがない事実に加うるに<証拠略>を総合すれば、次の各事実が認められ、原告柴田朴本人尋問(第一回)の結果中、右認定に反する部分は採用せず、その他右認定を左右するに足りる証拠はない。

(一) 原告は、昭和二七年から被告の従業員で組織する全電通に加盟していた。

(二) 全電通は、昭和三六年三月一六日、被告の第三次五か年計画策定を前にして、合理化反対、要員の協定化を目指して、始業時から二時間の同盟罷業(以下三・一六闘争という。)を行い、原告は、全電通長崎県支部書記長として、同支部の拠点である大村電報電話局に赴き、これに参加した。

(三) 被告は、昭和三六年三月二五日、三・一六闘争に参加した者の内、全国で原告を含む合計一六名を公労法一七条一項、一八条により解雇した。

(四) 全電通は、右解雇を不当として裁判闘争を行うこととし、原告を含む被解雇者がその方針に従い、それぞれの管轄地方裁判所に雇傭関係存在確認請求の訴えを提起した。

(五) 全電通本部は、〈1〉右訴訟の内、高松地方裁判所において、二名の内の一名につき勝訴判決を得たこと、及び〈2〉他の争議行為に関して解雇されていた津電報電話局分会三役及び本社支部三役が団体交渉により復職できたことから、三・一六闘争による被解雇者について、訴えを取下げたうえ、被告との間で団体交渉を行うことにより、復職も可能と判断するに至つた。そこで、全電通本部は、昭和四一年夏開催の第一九回全国大会において、関連の刑事裁判が係属中の新潟地方裁判所に提訴中の四名を除いて、訴えを取下げ、二年を目途に復職交渉を行うことを提案し、右提案は承認された。

(六) 原告は、右提案に反対であつたが、自らの加盟する全電通の最高議決機関である全国大会で承認されたことや、津電報電話局分会三役及び本社支部三役が復職できたことなどから、団体交渉により復職も可能と考え全電通の方針に従い、昭和四一年八月一九日、前訴を取下げた。

(七) 全電通本部は、被告との間で二年間にわたり、三・一六闘争の被解雇者の復職の団体交渉を行つたが、被告に解雇を撤回させるのは至難であるとの判断をするに至つた。そこで、全電通本部は、昭和四三年七月開催の第二一回全国大会に、復職交渉は全て打ち切り、前記新潟地方裁判所に提訴中の四名を除いては、以後裁判闘争も行わず、三・一六闘争の被解雇者に対する処分撤回闘争は全て終結させること、事後の措置として原告については、全電通から離籍させたうえ、組合活動に起因する解雇の場合に適用される犠牲者扶助規程一四条一号に定める見舞金を支給することを提案し、右提案は承認された。

(八) 原告は、全電通本部の右提案にも反対ではあつたが、全国大会で承認されたため、これに従うこととし、そのころ、右犠牲者扶助規定一四条一号による見舞金を受領し、全電通から離籍した。

(九) 原告は、その後も、書記として全電通の運動に携わりたいとの強い意向を有していたので、右意向の実現を長崎県支部に強く希望した。

(一〇) 前記のとおり全電通本部の方針としては、第二一回全国大会以後原告とは組織的な関係を断つこととしていたので、長崎県支部は原告の希望と全電通本部の右方針との板狭みの状態となり、その対策に苦慮したが、原告が全電通の行つた三・一六闘争の犠牲者であり、また原告が強く希望することもあつて、長崎県支部独自の判断で昭和四三年一〇月一九日から、原告を同支部の臨時書記として雇傭することとした。

(一一) しかし、原告を書記として雇傭することは全電通本部の方針に反すること、及びそのため原告を雇傭するための費用は長崎県支部において負担せざるを得ず、その経済的負担も軽くなかつたことなどから、同支部は、昭和四五年八月をもつて、原告を書記として雇傭することを打切ることとした。

(一二) 原告は、右同月以降もできる限り長く長崎県支部に書記として雇傭されることを望んでいたが、同支部の苦しい立場も認識していたので、同月をもつて同支部の書記を退職した。

(一三) 原告は、同年九月、日本共産党の常任活動家となり、昭和四六年四月の統一地方選挙において、日本共産党から長崎市議会議員選挙に立候補して当選し、以降、昭和五〇年、五四年、五八年と当選を重ねて現在に至つている。

(一四) 原告は、昭和四八年一二月一二日本訴を提起したが、全電通が原告らの復職のための団体交渉を打切つた後本訴提起まで自ら又は代理人を通じても、被告に対し復職のための交渉を求めたことはない。ただ被告の供託した解雇予告手当については、現在に至るまで、原告はこれを受領していない。

(一五) 本訴において初めて問題となつた信義則違反ないしは権利失効に関する甲第一号証乃至第一〇号証の五、原告柴田朴本人(第一回)、証人鈴木康美を除き、本件解雇の実体を争う証拠では、原告申請により本訴において取調べた書証(甲第一〇二号証まで)のうち少なくとも甲第一一号証の一乃至第九四号証までは前訴において取調べたものであり、本訴で新たに取調べた人証は原告柴田朴本人(第二回)及び前記鈴木康美を除く証人四名(但し証人横崎重雄は前訴においても取調べられている。)に過ぎず、右四名の証人はいずれも全電通の現組合員又は元組合員であるから、原告において本件解雇を争うための再訴の準備にさほど困難なことはなかつた。

(一六) にも拘らず、本訴の提起が遅れたのは、原告としては、取下前の相原告川浪清秀と共に再訴を提起する希望をもつていたところ、昭和四五年八月までは、長崎県支部に書記として雇傭されていたため、その間同支部との関係で再訴を提起し難い状況にあり、その後、昭和四六年四月に長崎市議会議員選挙に立候補し、当選したため多忙であつたという原告自身の事情に加え、取下前の相原告川浪清秀も自らの事業の経営に多忙であつたことから昭和四八年一二月まで、両者の態勢が整わなかつたためである。

2  以上認定したとおり本件解雇から本訴提起まで一二年八月余の長期間が経過していること、原告の属していた全電通が本件解雇の撤回闘争を完全に終結させた後でも五年四月余の長期間に渡り原告において本件解雇を争う法律上及び事実上の手段を全くとらなかつたこと、原告は昭和四六年四月に長崎市議会議員選挙に立候補して当選し、被告とは全く無縁の社会関係の場で自己の生活基盤を確立していることなどから、本訴が提起されたころには、被告としても、原告が本件解雇の効力を争わないものと確信し、原告との間の労働関係が完全に消滅したことを前提として企業秩序を形成し、その安定をみるに至つたものと認めるのが相当である。

なお、<証拠略>によれば、原告は昭和四五年八月ころハガキで、同年一一月ころ及び昭和四六年ころビラでもつて、本件解雇につき裁判を行う旨表明している事実が窺われるが、いずれも長崎県支部の組合員を中心に配付されたもので被告に宛てたものではないから、右認定を左右するものではない。

次に、取下前の相原告川波清秀と共に再訴を提起するということは、原告の単なる希望に過ぎないから、再訴の遅延を合理化するものではないし、また、原告が、長崎県支部に書記として雇傭されたこと及び長崎市議会議員に立候補し、当選したことは自ら望んだことであるから、再訴の提起の遅延を合理化するに足る客観的事情とはいえない。

また、原告が日本共産党の常任活動家であり、四期連続して長崎市議会議員選挙に立候補して当選していることに照せば、原告は本訴に勝訴したとしても、直ちに同市議会議員を辞職する意思を有していないものと推認できるところ、県庁所在地である同市議会議員の職務と被告の従業員として現実に労務を提供することは両立し難いものと認められるから、本訴提起当時、原告は本訴に勝訴したとしても、籍は格別、被告の従業員として現場に復帰する意思を有していなかつたものと推認できる。

3  以上を総合すれば、特段の合理的理由もないまま本件解雇から一二年八月余、全電通がその撤回闘争を完全に終結させてからでも五年四月余が経過し、被告において原告との労働関係が完全に終了したものとして企業秩序が形成された後に、現実に現場に復帰する意思もないのに、原告が本訴において本件解雇の無効を主張し、被告において新たに形成した企業秩序を一挙に覆そうとすることは、仮に本件解雇に原告主張のような瑕疵があるとしても、紛争の早期解決による法的安定が強く要請される労働関係上の権利の行使としては恣意的にすぎ、被告の信頼を裏切るもので、信義則に違反するものといわなければならない。

三  以上のとおりであるから、その余の点を判断するまでもなく原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用とし主文のとおり判決する。

(裁判官 渕上勤 土肥章大 加藤就一)

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